阪神淡路大震災から30年。ヴィッセル神戸の歴史は、震災と共に歩んできた神戸の街の記憶と強く結びついています。
そんなクラブの節目を語る「レジェンドマッチトークショー~震災と復興を語る~」が、8月2日(土)、ノエビアスタジアム神戸で開催されました。
会場の様子や、心に残ったトークの内容をレポートします。

レジェンドマッチトークショー~震災と復興を語る:ヴィッセル神戸30年の歩み~

司会はおなじみの顔ぶれ?
司会進行は、“はやっち”の愛称でおなじみの林哲也さん(ヴィッセル神戸広報部)と、永島昭浩さんの娘さんでもあるフリーアナウンサーの永島優美さんが担当。親子共演にも注目が集まりました。



バクスター氏と永島優美さんの心温まるエピソード
最初に登壇したのは、ヴィッセル神戸の初代監督であり、クラブの基盤を築いたスチュアート・バクスター氏。
永島優美さんは、幼稚園児だった頃のファン感謝イベントでの思い出を披露しました。
「父に似ていたので、すぐに“永島の娘”だと分かったようで、ほっぺに長〜いチューをされました。間違いなく私のファーストキスです!」
会場は笑いに包まれ、和やかなムードに。



永島昭浩さん、笑いと感動の親子トーク
続いて登壇したのは、元日本代表であり、ヴィッセル神戸のエースナンバー「13」を背負った永島昭浩氏。
「娘にチューしたなんて、知りませんでしたよ」と、先ほどのエピソードに驚きを隠せない様子で返し、会場は再び笑いに包まれました。
さらに娘の優美さんからは「父は毎朝5時に起きて、1時間の散歩を続けているそうです。今日の試合、期待してください。走れます!」と、バクスター氏に続いてお茶目な“情報提供”が。
親子ならではのやりとりに、客席からは温かい拍手が送られていました。


団長のユニークなヴィッセル愛
最後に登壇したのは、お笑い芸人・安田大サーカスの団長こと、安田裕己さん。
神戸を盛り上げるため、ヴィッセル神戸の初代コールリーダーを務めていたという異色の経歴の持ち主です。
バクスター監督が来日する前には、引っ越し準備を手伝ったこともあり、「そのとき、人生で初めてドラム式洗濯機を見たんですよ」と当時のエピソードを披露してくれました。


永島氏が神戸に移籍した当時を思い出し涙ぐむ場面では彼の言葉に込められた想いがひしひしと伝わり、胸が熱くなりました。


13番の系譜
13番の継承者たち
ここでスチュアート・バクスター氏と団長が降壇し、ステージには新たに大久保嘉人さんと佐々木大樹選手が登場。
ヴィッセル神戸の“エースナンバー”として受け継がれてきた「13番」にまつわる思いを、それぞれの視点で語りました。
ボクの中では13番といったら小川慶治朗なんだよなぁ。



永島さんは「本当は憧れのヨハン・クライフが着けていた“14番”が良かった」と語ります。
しかし自身のプレースタイルとは違うと感じていたこと、そして1974年のW杯でクライフ擁するオランダを破った西ドイツの決勝ゴールを決めたのが、ゲルト・ミュラー。その彼が背負っていたのが“13番”だったことに強く影響を受けたそうです。
高校3年の時も、「結果を出す番号」として13番を選んでいたことを明かしていました。

永島さんの後を継ぐ形で、13番を託されたのが大久保嘉人さん。
「最初は正直、嫌だったんです」と当時の率直な気持ちを明かします。
しかし実際に着けてみると、「いい番号ですよ。今ではすごく気に入ってます」と、笑顔で語りました。
そして今年、新たに13番を背負うのが佐々木大樹選手。
「13番に込められた意味は知っていました。ユースでも13番をつけていたので、トップでも同じ番号を…と強く思っていました」と、緊張気味に語ります。

フィナーレは抽選会
トークショーのラストには、登壇した全メンバーが再びステージに勢ぞろい。
会場の雰囲気が一気に華やぐ中、サイン入りの「ヴィッセル神戸30周年記念フラッグ」が当たる抽選会が行われました。
座席番号が呼ばれるたびに歓声と拍手が沸き起こり、ファンにとっても忘れられないひとときになったはずです。





残念ながらボクは抽選は当たらずでした~。

おわりに
このトークショーは、震災からの復興の象徴として、ヴィッセル神戸が地域と共に歩んできた歴史をあらためて実感できる、貴重な時間となりました。
日々の練習場所さえ確保できなかった創設初期から、天皇杯優勝、Jリーグ連覇を果たすまでに成長したクラブの歩みは、まさに神戸の希望そのもの。
ヴィッセル神戸の「これまで」と「これから」に、ますます期待が膨らむ、そんな一日でした。

目指すはJリーグ3連覇&天皇杯連覇!いつかはACLEを制してCWCへ!
これからも一致団結、トモニイコウ!!
終わり!